15・「心の糸が切れる」ことを学ぶ

1995年から1998年の間、今まで体験したことのない、厳しい試練に直面します。所謂多動錯乱期に当たります。
妻は、発病7年から数年間の間に、私達の結婚生活45年の記憶の一切を奪われます。人の記憶、家の記憶、生活する機能を奪われ、徘徊、介護抵抗を繰り返す、別人のようになってしまいました。
この厳しい試練で、又多くの人の助けを借ります。試行錯誤を繰り返し、多くのことを発見し、学ぶことができました。
なかでも、アルツハィマー病は、病気の進行するある段階で、「記憶を奪われる」ことで人間関係が突然切断されることを発見し、学ぶことが出来ました。最も大切な「心の糸」まで奪われ。一時期には、誰彼なしに「意思の疎通」ができなくなり、介護者が大変困ることになります。

私は配偶者からお父さんになる

1997年、9年目の元日のことでした。起床した時の妻の様子が、いつもと違います。表情も硬く”何かを疑っているかのような目つき”をしています。呼びかけても、暫らくは何も応えてくれませんでした。
私と最初に「心の糸が切れた」日でした。
さらにしばらくしてから、私を「お父さん」と呼びます。親を慕うような素振りを感じました。その日は、また「帰ろう、帰ろう」と、私を誘って4回も徘徊しました。
私は、少しは予備知識があって、”何時か来る道”と覚悟していました。
妻と私との関係はその日を界に配偶者としての夫でなくなります。”お父さんと四歳児”と言う”お芝居の要領”による生活が始まったのです。
不思議なことに、”心の糸が切れた”はずなのに、父親を演じることで”心の糸は”しっかりと結び直されていました。

ヘルパーとの「心の糸が切れる」

配偶者の私が分らなくなり、私はある日を境に、夫でなく「お父さん」と呼ぶようになります。幸い「父親と四歳児」の関係で結ばれています。娘との関係は、幸い続いています。遠方にいる息子は、分らなくなっています。帰ってくると、避けるように「外へ」出て行きます。
発病8年目のこと、天使のようなヘルパーさんを、嫌がるようになって、困りました。
1996年5月27日・
交代されたTさんの連絡ケアノートの最初の記録からです。

5/27・初日・K・Y・Tの三人で話していたら急に「私はいいですから帰ります」といって外へ出て行か
れびっくりした。
しばらく外を歩いていたら落ち着かれたので一安心する。
と連絡ノートに記載されていました。
週一回、月曜日の午後の担当であるTさん。経験豊富な方と紹介されましたが、妻は上手く馴染めなかったようです。
私との引継ぎが、上手く行かない日ができてきます。
私が、「この人は、ヘルパーさん」と説得しても「私知りません」といって、私の腕を掴んだまま離れません。仕方なく、私の車に乗って、一緒に病院へ連れて行ったことも度々。時には、逃げるように、外へ歩き出し、一緒に歩いたことも数回ありました。
6ヶ月お世話になりましたが、どうも上手く行きませんでした。そんなある日のこと、Tさんがお出でになると、妻は、私を隣の部屋に連れて行き、「私、この人に殺される」と言いつけます。
妻の被害妄想です。Tさんとは”心の糸が切れ”たままのようでした。隣の部屋では、Tさんには聞こえています。残念なできごとです。
Tさんは、一生懸命努力なさったけれど”心の糸は切れたままで”繋がりませんでした。

この現象は、対応が遅れ、全ヘルパーに波及して行きます
残念なことに、”心の糸が切れる”のは、Tさんだけに止まりませんでした。
当時、天使のようなY・M・Oさんとは、まだ上手く行っていたようですが、次々と波及していきました。
ある人とは、一緒に買い物に行くことが出来なくなります。買い物の途中、交差点が理解できず、車道の徘徊になり困られました。意図的に買い物に連れて行こうとしても、買い物が理解できず、興奮して、車道を逃げるように走りました。
「見守り」契約の引継ぎも、どのヘルパーさんとも、「私、知りません」の関係になって行きます。皆さんが、大変困られました。
ヘルパーさんが来てくれなくなれば困ります。買い物に行ってくれなくなっても困ります。ピンチでした。

お芝居の要領で

そんな或る日、私が配偶者でなくなり、「父親と四歳児」のお芝居の要領で「心の糸」が繋がっていたことがヒントになりました。
そうだ、お芝居だ。「優しいヘルパーさん」だと、何回説明しても理解してくれません。ヘルパーさんでなく、昔からの「親しい友達」になりきった”お芝居の要領”で遊びに来てもらったらどうだろう。
私の閃きは大成功でした。

新しくこられたNヘルパーさんは、このことを理解してくださいました。「君ちゃん、遊びに来たよ」とさりげなく入ってきて、笑顔を見せて戴いただけで受け入れてくれました。
ヘルパーさんが交代されても、親しく、笑顔で声かけして下さるだけで、感性が豊かになり、情緒が安定するようでした。「心の糸が切れて」いたのが、再びしっかりと「心の糸が結び直され」ました。
「お芝居の要領」は、どのヘルパーさんも、実行してくださいました。上手く行きます。情緒は安定し、笑顔が戻ります。

その後も、妻の痴呆は確実に進行しています。
しかし、「お芝居の要領」で、介護抵抗もなくなり、徘徊も不思議となくなっていました。
(2002年12月25日発行・呆け老人をかかえる家族の会・
月刊老人をかかえての私の老々介護日誌より)
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